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歴史的瞬間

セミナーを兼ねて
札幌、函館に来ております。

昨日は札幌を出て
函館に向かいました。

その移動にはレンタカーを使いましたが
レンタカー会社でこんなものを見つけました!



さぁ、これで良いあるぞ!

こんな思いで、函館に向かい

途中、『地球岬』に少し寄り
海岸線が非常に綺麗で驚きました。

写真より肉眼で見た方が全然違いましたが
一応Upしておきます!


さて、こちらでこんな物を発見


これ、地球公衆電話です。。。

さらに


こんな看板も・・・

6個入りで1つだけ辛子入りだとか・・・


はい、買いましたよ!

ちょうど6名いたので
6個入りをひと箱

朝一番、あんなカブトムシを見つけた私

絶対当たるはずがありません!

自信を持って選んだまんじゅうは・・・

はい、まさに毒まんじゅうでした。




さて、そんな全く良いことがない1日も

夜のレストランでは・・・

夜景を見ながら食べれる素敵なレストラン

周りにはカップルがいる中
当然、6名の団体は静かなはずはありません!

そんな状況で
スタッフの1人が大きなバラを花束(たぶん30.40本)を持ち
散々、騒いで場違いなメンバーの隣の席に・・・

男性が何かを言いながら
迎えの女性に手渡していました。

誕生日だと思い
6名で拍手!

しかし、その後・・・

   女性『よろしくお願い致します。』

???

仲間の社長が勇気を持って

   『もしかしてプロポーズですか?』

こう聞くと男性が軽くうなずかれ
2回目の大拍手


あんな歴史的瞬間で
散々、騒いでしまいま申し訳ない気持ちと

カブトムシを見た効果

良いことがやはりありました!

他人のプロポーズの現場に立ち会ってしまうなんて

関係ない方ですが
とても幸せな気分になりました!




信州サーモンと野沢菜の天ぷら

せっかく全国を色々と出張しておりますので
現地で食べた名物やお土産をUpしていきます。


今回は長野県

         こちら

    信州サーモンと野沢菜の天ぷら





信州サーモンとは...JUGEMテーマ:グルメ

   ニジマスとブラウントラウトを交配させた
   信州独自の新品種の魚

   http://www.pref.nagano.lg.jp/xnousei/suishi/s_salmon/salmon.htm

全く知りませんでしたが
これ、とても美味しかったです!

そして野沢菜の天ぷら

これも少しピリッとしてて
ぜひ、長野県に行かれたらお試し下さい!


耳掃除にはご用心

今日、セミナー中に
左耳が突然痛くなりました。

何とかセミナーは終了できたのですが
痛みがどんどん酷くなるので・・・

急遽、広島の病院に行く事にしました。


実は以前、飛行機の中で
中耳炎になった経験もあり
てっきり中耳炎かと思っておりましたが・・・

結果は・・・

   耳掃除のし過ぎ

         という事でした。

私の耳は
普通の方に比べて小さいらしく
耳掃除をしすぎて、カサブタができ
それを押し込んで鼓膜に着いてしまったそうです。


ご心配のおかけした皆様

本当にありがとうございます。

また、皆さん、耳掃除には注意して下さい!


    交通事故防止コンサルタント  上西一美


通りもん、最大のライバル???

 私の中で勝手にランキングしておりますが・・・

日本三大銘菓



   そして



今日、福岡空港で見つけたのですが・・・




これ、かなり美味しいです!



ご当地ナンバー

皆さん、ご当地ナンバーって
ご存知ですか???

最近、神戸の街では
こんなナンバーのミニバイクが走っているそうです。




調べてみると
全国、あちらこちらで
このご当地ナンバーが存在するそうです。


  皆さんの街には

     どんなご当地ナンバーがありますか???



少し安心しました。

今日は仙台方面の電話が
少し繋がるようになったらしく

システムオリジンのIさんと話すことが出来ました。

家族などにも怪我がなく
家も大丈夫だということで一安心


そして、もう1人
気になるC社長

翌日から何度も何度も電話をかけていましたが
やっと、夜、声を聴くことが出来ました。


社長の声は
当日と同様、非常に元気でしたが
やはり被害は大きく


トラック10台 タクシー5台

          
が流されたそうです。

また、C社長のこんな言葉に
思わず涙が出てきました。


  『必ず立ち直るから

         見てて下さいよ。』


そういえば私の母親も
全壊になった家を見て


   『ゴミで捨てる手間が省けた。』


           と笑いながら言っていました。


もちろん、本当に笑っていた訳ではなく
私を安心させようと精一杯の親の意地でした。

その時の母親の顔
C社長のその言葉を聞いて
思わず思い出してしまいました。


今日は自分に出来ること
こんなことを1つ思いつきました。

ぜひ、実行して
C社長の本物の笑顔をまた見たいものです。


   頑張ってください。



震災に想う

久しぶりの更新が
こんな形になるとは思いませんでした。

関西にいる私には何も出来ず
ただ、知り合いの方の安否を心配する事しか出来ません。

幸い、奇跡的に仙台の知り合いとは
携帯電話が繋がり
安否はわかっていますが


その電話の中で


      『タクシーやトラックが流れたかもしれない。』

      『今、コンビニの前だけど、目の前に船がある』


こんな言葉が頭から離れません。


私は神戸の震災の時
家が全壊で祖母を亡くしました。

家は新しい物を買えば
元通りに戻りましたが
亡くなった祖母は元通りになりません。


そんな悲しい想いをされている方が沢山いて
自分には何も出来ない事が残念でなりません。


仙台のクライアント様のC社長は
私が本当に尊敬する方で
また、そこのT課長は
私のこのblogを楽しみにされていると言われていました。

無事だとは聞いていますが
今、出来るのは、このblogの更新だけです。


オリジンのIさん

   C社長、 T課長、そして、被災に合われた皆様


   私も元被災者として、心から応援しております。


   また、必ず、そちらに行きますので、頑張ってください。

Uさん、お疲れ様でした。

今日、一通のメールが来ました。

それは、闘病中のUさんの携帯からでした。

メールの内容を見る前に
私にはその内容がわかりました。

なぜなら、Uさんは
自分自身でメールを打てる体ではないからです。


      平成22年7月22日14 時37 分

                           天国へ旅立れたそうです。


Uさんと初めて会ったのは
大学を卒業してR社に入社してすぐでした。


私があるミスをして
いきなり内線がなり
その相手がUさんでした。

電話の向こうで

      『おまえ、すぐ来い』

と怒鳴られ
新入社員の私は訳がわからないまま
呼ばれたフロアに行きました。

歳は40代後半。
杖をついて
顔面麻痺なのか
顔も引きつっていました。


      『おまえか、上西は』


と見た目はまさに病人
しかしUさんの声はまるで別人。

それから数分
説教タイムが続き
自分の席に戻りました。

第一印象は

     『訳がわからない、この人』

                        でした。

しばらくして

    Uさんが元々ホテルの支配人だった事。

    仕事中に脳の病気で倒れて生死をさ迷った事。

    そして、闘病生活を終え、奇跡の職場復帰をした事

                         
を先輩から聞きました。


そんなUさんに2回目の説教をされた時
不意に私がバーテンダーをしていた話になり状況は急転。
その日から意気投合し
仕事では本当に色々な事を教えて頂きました。

ちょうど、R社を辞めたと同時に
UさんもR社の神戸のホテルの支配人として
現場復帰を果たしました。

それからは
タクシー会社の営業と取引先という関係で
またまた色々な事を学ばせて頂きました。


偶然とは怖いものです。

私が独立した頃
Uさんもマナー講師として独立し
それからは
同じコンサルタントとして
たまに仕事をさせて頂く事となりました。


そして数年前
また病が再発し
闘病生活に入られました。


そんなある日、携帯にUさんから電話がありました。

しかし、無言電話です。

折り返し電話をしても、無言状態。

実は、その頃には
もう声が出ない状態で
私に何かを伝えたくて電話をされていたそうです。


それを聞いて
Uさんに一方的にメールを入れていきました。

毎日、毎日、返信のないメールでしたが
復帰して欲しいという一心で
他愛もないメールを送信し続けましたが
いつの間にか
自分も仕事が忙しくなり
すっかりメールをしていませんでした。


そんな時に他界されてメールが来ました。


最後に何を伝えたかったのか?
誰にもわかりません。

ただ、社会人になってから
ずっと指導して下さったUさんにこう伝えたいと思います。


    負けず嫌いだったUさん

    もっと仕事をしたかったと思います。

    そして、ずっと現場に居たかったでしょう。

    何も恩返しが出来ませんでしたが
    
    教えて頂いた事は決して忘れません。

    本当に宝物です。

    いつも全力投球だったUさん

    もう頑張らなくて良いですよ。

    ゆっくり休んでください。

    お疲れ様でした。

    そして
 
    ありがとうございました。


   

震災から15年

1995年1月17日

私の人生の中で
忘れられない1日でした。

神戸市灘区という
震災時に倒壊が多かった地区に住んでいた私は
全壊という被害に合ってしまいました。

そして大事な親族も亡くしてしまい
生まれて初めて親族の葬儀にも出席しました。

当時、私は大阪の会社に勤めており
1週間後には大阪に移ることになり
被災した神戸の街は
1週間ほどしか見ておりませんが
そのときの記憶は
今もまだ鮮明に覚えています。

神戸は
街路樹が多い街で
道路を車で走っていると
本当に気持ちが良い街です。

ですが
あの一週間だけは
本当にここは日本かと
目を疑ってしまうぐらいの光景でした。

街路樹はあちこちで倒れている
ビルも崩れてしまいチリが溜まっている

本当に綺麗な神戸が
一瞬で姿を変えていました。

あの震災で
私は祖母を亡くしましたが
その祖母がよくこんな事を言っていました。

 
   『戦争の時は食べ物がなくて困った
          だから食べ物を粗末にするな』


そんな言葉を聞いて私は
今の時代、そんな話はないよ
と心の中で思っていましたが

そんな事があの震災では起こったのです。

お金があっても
食べ物がなく買えない状態

本当に祖母の言うことを小ばかにした自分が
恥ずかしくて仕方ありませんでした。

それ以来、食べ物を残すをいう事に
抵抗を持ってしまいます。

これは祖母に最後に教えてもらった事です。

あれから神戸市内のタクシー会社に入社し
5年前に独立をしました。

震災で亡くなった方
 
      6434人

これは2006年の6352人とほぼ同数

1年間に交通事故で亡くなる方が
あの一瞬で亡くなりました。

年々、交通事故死者の人数は減少していますが
被災にあった私が
年間、阪神大震災とほぼ同数の死者を出す
交通事故削減のコンサルティングを行っている事に
何か偶然ではないものを感じます。

  
   震災で亡くなった方
   交通事故で亡くなる方


どちらも尊い命が亡くなることに変わりません。

そのような交通事故を
削減する仕事に就けている事を誇りに思います。

これからも
この気持ちを大切にしていきたいと思います。
それが被害に合われた方から教えて頂いた事だからです。

最後に
犠牲となられた方々のご冥福をお祈りいたします。
   

今年も・・・

今年も初詣の日がやってきました。

そして初詣と言えば・・・

       おみくじ
                です。

実はこのおみくじ
毎年、毎年、大吉なのです。
しかも自分の記憶が確かなら
ここ15年で大吉以外を引いた事は
たった1回です。
(確か中吉だったような・・・)

こう毎年、毎年、大吉が続くと
おみくじを引く瞬間もとても緊張してしまい
もう1つのイベントのようになっています。

そして今日がその運命の日

やや緊張しながら
初詣を済ませて、おみくじへ・・・

そして緊張しながら引いた番号は

         十番

その瞬間、確信しました。
(実はなぜか番号を見た時に大吉だと思うんです。)

はい、大吉でした。
しかも今までで一番良い内容。

今年は何か変化がある予感がしますが
このおみくじのように必ず良い方向に変化させます。


ただ、最後にこんな事が書いてありました。

   ただ、思い上がらなぬよう心がけねばなりません。

その通りです
いつまでも初心の忘れず取り組んでいきます。





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